「なおしてなんぼ」にこだわった(若手養護教諭の頃)

念願の保健室の先生になってからは、子どもたちがかわいくて、楽しくて、夢中で仕事をしました。

学校の保健室でするのは応急処置までで、「医療行為はしない」というルールがあります。だから、体調不良や痛みに対して、処方薬はもちろん市販薬であっても、服用させることはありません。

保健室に来た子どもたちに対しては、洗う、冷やす、あたためる、毛布にくるまる、横になるなど、ふつうの家庭で誰もが行うような「手当て」をします。1~2時間様子を見てもなおらない場合には、家庭へ連絡して早退の対応をとります。

感染症の場合にはその時限りで、回復したらもう会わないのですが、「頭が痛い」「おなかが痛い」「気持ち悪い」などの理由で、毎日のようにやって来る子たちもいます。そんな子たちを毎回早退させていると、だんだん保護者の方もうんざりしてきて、お迎えの時に「またなの!?」と、思わずぐちを言ったり叱ったり…となることもあります。そうするとその子はまた次の日、いっそうどんよりとした表情で保健室につらさを訴えにくるのでした。

このような不定愁訴の子どもたちと、自分、職員、保護者等、おとな側の対応を観察しているうちに、子どもが元気を回復しやすい対応の仕方のポイントがあることが分かってきました。(このポイントについては、以前、著書にまとめましたので、また別の機会にご紹介します)

心因性の痛みも「仮病」ではありません。実際に体の痛みはあるのです。でもそれを「気持ちの問題でしょ。がまんしてもう少しがんばって!」と励ますと、子どもの側は「本当に痛いのに、わかってくれない、信じてくれない」というようなモヤモヤが残り、結果的に痛みが消えない状態が続きます。心因性でも、バンソウコウを貼ってもらって安心すると痛みが消えてなおる、というのは実によくあることです。目に見えないほどの小さな傷でも、その子が安心するならと、ていねいに貼ってあげるようにしていました。

体と同時に心の痛みも手当てする

たとえ心因性だとしても、目の前の子どもは痛がっている。保護者もたびたび呼び出されてピリピリしており、親子の間にネガティブな空気が流れている。これではその子の交感神経はずっと緊張した状態で、癒しと回復の方向にスイッチが切り替わらず、悪循環が続きます。

それがわかっているのに、毎回、早退の連絡をするだけでいいのだろうか?

養護教諭として悪循環の輪をどこかで断ち切り、子どもの元気を回復することができないだろうか?

そんな思いが強くなった末、「養護教諭は子どもの健康の専門家、不定愁訴もなおしてなんぼや」というキャッチフレーズが頭にひらめき、あらゆる方法を試すようになりました。お絵かきやぬり絵をしたり、ぬいぐるみを使ってごっこ遊びをしたり、ダンボールで保健室にその子専用の安全基地を作ったり、教材づくりや小さい子のお世話を手伝ってもらったり、先生たちに御用聞きをしてお手伝いをあっせんしたり、温かい甘い飲み物を一緒に飲んで秘密のティータイムをしたり…。その子がほっとしたりわくわくしたりして楽しい気持ちになれること、人から感謝されて自信を持てることなど、「元気のタネ」になりそうなアイディアを何でも試しました。

子どもたちは、周囲からどう見られるかという「他人軸」を気にしている間は、症状から離れづらいようです。けれど、評価されたり責められたりする心配がない安全な場所で、寛いで楽しく過ごせる時間を積み重ねていくと、「自分軸」に意識が向いて周りの目が気にならなくなり、症状も目立たなくなっていきます。

他人の目を気にしていたことを忘れて楽しめるようになると、自己治癒力で回復していく

…その後。養護教諭を辞めて転職した私は、心理職としての経験が浅いことに強いコンプレックスを感じていました。昔の仲間や同世代がみな、力量を備えたその道のベテランや大学教授になっているのを見聞きすると、立派な姿がまぶしく見えました。「自分も大学を卒業してまっすぐ心理の道を進んでいれば、今頃あんな風になれたのかもしれないのに」と、当時の自分を恨んだり、年を取った新米である自分に自信が持てなかったりで、くよくよウジウジと悩んでいました。

けれどある時、心理職の上司から「グループセラピーの実践が素晴らしかった」とほめていただいたことがありました。とても驚いて、嬉しかったことを覚えています。グループセラピーを導入したいという話は私の入職より前からあったものの、様々な部署の関係者と調整して実行段階に進めることが困難だったようです。私は養護教諭だった時に「子どもが元気になるために使えそうなものや人は、なんでもどんどん利用する」クセがついていたので、怖いものなしで動けたのでしょう。

「心理職としての暦が浅い」ことにとらわれ、養護教諭の道を選んだことを後悔していた私は、余裕がなくて視野が狭くなっていたのかもしれません。今、落ち着いて振り返れるようになって、ようやく自分が通ってきた道の意味や価値に目が向けられるようになりました。保健室で目の前の子が元気になる方法を、ああでもないこうでもないと、やりとりしながら試行錯誤していたあの時間こそが、「心を癒すセラピー的な時間づくり」の実践になっていたのだと思えるのです。

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