大学4年生の時、失恋や進路の悩みなどが重なり、初めてメンタル不調になりました。眠れず、食べられず、涙ばかり出て家でふさぎ込んでいると、自分が崩れていくような不安と恐怖を覚えました。精神科か、カウンセリングに行くべきかもしれないと思ったのですが、足がすくんで怖くなりました。大学の心理学科の授業で学んだ「閉鎖病棟」や「ロボトミー手術」などが頭をよぎり、自分もそういった治療を「される側になる」「一線を越える」というイメージが湧いて、抵抗感や恐怖心が抑えられませんでした。
家族や友人、先生方、学生相談室など、周囲の人々に話を聴いてもらいながら、なんとか一日一日をやり過ごしました。心理学科の先生方から受けたサポートは、今振り返ると、カウンセリングやセラピーと内容的には変わらないものだったように思います。「病院を受診した患者」という文脈でなく「先生と学生」という文脈のままで支援を受けられたことは、当時の私にとっては、心の負担を軽く済ませることができ、ありがたいことでした。
臨床心理士を目指していた私ですが、進路を決める時期になって、迷いが生じました。「私は病院や研究機関で働く専門家になろうとしている。でも私のように不安や恐怖を抱えた人たちが、その高いハードルを越えてやって来るまで、待っているようなスタンスでいいのだろうか」と疑問を抱いたのです。そして「その人がふだんの人間関係の輪の内側にいながら、自然な形でサポートを受けて回復していくことができたら、心の傷やダメージは少なくて済むのではないか」と考えるようになりました。
要するに、「悩み事は相談室や研究室で起きているんじゃない。現場で起きているんだ!」という風に思ったのです。
そして進路を考え直した末、より日常的な現場で支援にたずさわれる職業として、保健室の先生を目指すようになりました。